片付けたそばから散らかるリビング、なぜですか?
よし、片付けたぞ!からの絶望
週末の午後、気合いを入れてリビングを徹底的に片付けました。「えいっ!」とばかりに、ソファの上のブランケットをきれいに畳み、床に散らばったおもちゃを種類別にボックスへ。読みっぱなしの新聞や雑誌をまとめ、コーヒーカップをキッチンへ運び、テーブルを拭き上げます。ああ、なんてスッキリ!
窓から差し込む光が、ピカピカになったテーブルの上でキラリと反射するのを見て、「やった!これで週末は気持ちよく過ごせるぞ」と、小さな達成感に浸る瞬間です。この「何もない空間」の心地よさ、分かっていただけますでしょうか。たったこれだけのことなのに、心まで軽くなる気がするんですよね。
家族が帰還し、ものの数分で…
しかし、この平和な時間は、ある音を境に終わりを告げます。ガチャッ、という玄関のドアが開く音です。
子供たちが「ただいまー!」と元気に帰ってきて、勢いよくリビングになだれ込みます。ランドセルがドサッと床に置かれ、上着がソファに投げ出され、習い事のバッグの中身(プリントやら筆記用具やら)がテーブルの上にぶちまけられます。「お腹すいたー」「ゲームしていい?」と叫びながら、持っていたおもちゃや本もそこら中に置かれます。
続けて夫が帰宅し、ネクタイを緩めながらカバンを床に置き、ポストから持ってきたらしいチラシをテーブルに広げ、読みかけの新聞をソファに置き…
え?ちょっと待って?
私がたった今、心を込めて片付けた、あの美しい「何もない空間」はどこへ行ったのでしょうか。彼らがリビングに滞在したのは、せいぜい5分ほどです。それなのに、ソファには服、床にはバッグとランドセル、テーブルの上は書類とおもちゃで溢れかえっています。
私のたった今の努力は、一体何だったのでしょうか。まるで魔法のように、一瞬にして元通り、いや、ひょっとしたら片付ける前より散らかっているかもしれません。
この理不尽さ、宇宙の法則ですか?
この光景を目の当たりにするたび、心の中で「なぜですか…?」と問いかけます。私の片付けスキルが低いのでしょうか?いえ、片付けた直後はきれいだったのです。家族の散らかすスピードが異常に速いのでしょうか?ええ、きっとそうです。彼らは散らかすことにかけては、訓練されたプロフェッショナルに違いありません。
もちろん、悪気がないのは分かっています。彼らにとっては、リビングは最もリラックスできる場所であり、その場で思ったままに行動するのはごく自然なことなのでしょう。でも、片付けたばかりの私からすると、それはもう小さな、いや、時には大きめの理不尽として心に突き刺さるのです。
「あ、片付けてくれてるんだな。ありがとう」なんて言葉や、せめて「少しだけこのままでいよう」という気遣いは、彼らの辞書には載っていないのかもしれません。リビングをきれいにする担当は私、そして散らかす担当はその他全員、という暗黙の了解があるかのようです。
この「片付けても片付けても、すぐさま散らかる」という無限ループ。もしかしたら、これは我が家だけではなく、多くのご家庭で繰り広げられている日常の風景なのかもしれません。そして、この理不尽さは、抗うことのできない宇宙の法則の一つなのではないか、とすら思えてくるのです。
今日もまた、散らかったリビングを前に、遠い目をして立ち尽くす私なのでした。まあ、明日また片付ければいいか、と小さくため息をついて。