報われない努力?見えない家事と私の独り相撲
日々の家事、どこまでが「見える」家事でしょうか?
主婦の皆様、毎日お疲れ様です。 我が家も例に漏れず、日々様々な家事に追われています。洗濯、掃除、料理、片付け…これらは比較的「やった感」がある、いわば「見える家事」ですよね。洗濯物が干してあれば「ああ、洗濯してくれたんだな」と分かりますし、ご飯ができあがっていれば「美味しそう!」となります。(たまに辛辣な食レポもありますが、それはまた別の話…)
でも、家事の中には、どんなに頑張っても、誰にも気づかれないどころか、やらないと大変なことになるのに、やったところで「当たり前」とスルーされてしまう「見えない家事」が山ほどあると思いませんか?
これはもう、理不尽という名の独り相撲です。
誰も褒めてくれない!見えない家事あるある
例えば、キッチンの排水口。 ああ、もう考えただけでゾッとしますが、この排水口のぬめりや汚れを掃除するのって、結構な労力ですよね。ブラシでゴシゴシ、漂白剤でつけ置き…。ピカピカになった瞬間は「よし!」と達成感があるんです。
でも、どうでしょう。家族の誰かが「わあ、排水口が綺麗になった!ありがとう!」と言ってくれたことが、かつて一度でもあったでしょうか? いいえ、ありません。(断言)
彼らは次に台所に立った時、普通に水を使うだけです。綺麗になったことにも気づかないし、数日後にはもうぬめりが出始めています。「え、つい先日掃除したばっかりなのに…」と愕然とするのは、いつも私だけです。
やらないとすぐに詰まったり、悪臭を放ったりして大惨事になるのに、やった努力は泡(と流れていく洗剤)と消えるのです。
冷蔵庫の中も、引き出しの中も…
これだけではありません。 冷蔵庫の中の整理整頓も、立派な「見えない家事」です。賞味期限が切れそうなものを手前に出したり、野菜室の土を拭いたり、タッパーの中身を把握しやすいように並べ替えたり。
これも、やらないとカオスになり、食品ロスも増えるし、使い勝手も悪くなります。でも、綺麗に片付いたからといって、夫や子供が「冷蔵庫が整理されてて使いやすいね!」と感動する姿を、私は見たことがありません。彼らは必要なものを取るだけです。そして、また無造作に物を突っ込み、カオスへの逆戻りが始まるのです…。
他にも、引き出しの中の衣類の畳み直し、靴箱の整理、コード類をまとめる、戸棚の奥の拭き掃除…。どれもやらないと生活が淀みますが、やったところで劇的に「変わった!」と気づかれることは稀です。
この理不尽さ、どうすれば…?
なぜなのでしょう。なぜ、「やった!」という達成感と裏腹に、周囲からの反応は皆無なのでしょうか。汚れているところはすぐ気づくのに、綺麗にしたことはなぜスルーされるのか…。これはもう、家事における一種の「理不尽な法則」と呼んでもいいかもしれません。
この報われない努力に対し、以前は「なんで誰も気づいてくれないの!」と心の中で叫んだり、口に出してアピールしたりしたこともありました。しかし、反応は薄いか、「言われればそうだねー」程度。なんだか虚しくなるだけなんですよね。
最近はもう、「まあ、私が気持ちいいからいっか」「やらないと後で困るのは私だし」「これは自己満足の世界だ」と、半ば諦め、半ば開き直りの境地に至っています。
誰も気づかない努力も、確かにこの家の快適さを支えている一部なのだ、と自分に言い聞かせながら。
…いや、でも、たまには「ありがとう、綺麗になったね!」の一言くらい、誰か言ってくれませんかねぇ? たとえそれが、見えない家事だとしても。
今日の独り相撲も、これにて終了です。 また明日、見えない家事と静かに戦います。